「腰が抜けるほどつまんない」
伊集院光さんが『クレヨンしんちゃん』のある回について語った言葉が、大きな注目を集めています。
話題になっているのは、2026年9月19日に放送された「ある午後の野原夫婦だゾ」。
脚本を担当したのは、コント&演劇ユニット「ダウ90000」を主宰する蓮見翔さんです。
実はこの回、しんのすけがほとんど登場せず、大きな事件も起きず、ひろしとみさえの会話を中心に描く異例の一本でした。
しかも、シリーズ初となるワンシチュエーション・ワンカットの会話劇。
普段の『クレヨンしんちゃん』とはかなり違う作品だったのです。
だからこそ、いつものテンポや分かりやすい笑いを期待していた人にとっては、「思っていたクレしんと違う」と感じやすい内容だったと考えられます。
一方で、ひろしとみさえのリアルな夫婦の会話を評価する見方もあり、作品全体が一方的に不評だったわけではありません。
では、なぜ伊集院光さんは「腰が抜けるほどつまんない」とまで酷評したのでしょうか。
発言を詳しく見ると、単に作品が面白くなかったという話だけではなく、「ダウ90000のセンスを理解できない自分は老害なのか」という別の違和感も見えてきます。
伊集院光が蓮見翔のクレしんを酷評
📺️本日放送
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『クレヨンしんちゃん』異例の回が放送
しんちゃん登場ほぼゼロ、野原夫婦の会話劇
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構想1年、ダウ90000蓮見が脚本【コメント】https://t.co/VWRXyFUf4C
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子どもたちがいない間、どんな会話をしてる?アニメサイドの提案で… pic.twitter.com/Gv8fNLub2v— オリコンニュース【アニメ】 (@oricon_anime_) September 19, 2026
話題になったのは、9月21日放送のTBSラジオ『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』での発言です。
伊集院さんは、蓮見翔さんが脚本を担当した『クレヨンしんちゃん』を見たことを明かし、
「腰が抜けるほどつまんない」
とかなりストレートに評価しました。
ここだけを見ると、
「伊集院光がダウ90000を完全否定した」
ようにも見えます。
しかし、伊集院さんが語った内容はそれだけではありません。
私は蓮見さんが担当した脚本と知らずに拝見したが、「珍しい回…まぁ2人だけの時ってこんな感じで過ごす時もそりゃあるか」くらいにしか思わなかった。でも伊集院さんが仰るように蓮見さんが面白い!と神格化されてるのが謎なのは共感できる。コント見ててもこの方々のはなんも面白いと思ったことない
— ひとり@オタク垢 (@ginkabin3COLOR) September 23, 2026
ダウ90000のセンスを理解できない58歳を世間は許してくれない、自分の方が「老害」と見られるのではないかという趣旨の話までしています。
つまり伊集院さんが感じていたのは、
「自分には面白さが分からなかった」
という作品への感想と、
「これを面白くないと言ったら、自分の感性が古いと判断されるのではないか」
という居心地の悪さの両方だったようです。
さらに伊集院さんは、今回の作品について、ひろしとみさえが他愛のない会話を続ける淡々とした演劇のような作りだったという趣旨でも振り返っています。
そして「こういう作品を理解できない人の方が悪い」と言われているような圧を感じたとも語りました。
ここが今回の発言で重要な部分でしょう。
単純に、
「ギャグが面白くなかった」
「ストーリーがつまらなかった」
という批評ではありません。
作品そのものと同時に、作品を面白いと思えない自分がセンスのない側に分類されるのではないかという空気にまで言及しているのです。
では、そこまで伊集院さんを戸惑わせた「ある午後の野原夫婦だゾ」とは、一体どんな作品だったのでしょうか。
蓮見翔のクレしんは何が異例だった?
【伊集院光、かなり踏み込んだ】
『クレヨンしんちゃん』の
ダウ90000・蓮見翔の脚本回を見た伊集院光。「腰が抜けるほどつまんない」
さらに、
「勇気いるんだよ、あっちが正しいことになってる」
「世の中はセンスを理解できない58歳を許してくれない」… pic.twitter.com/u2B1xD0qv1— ぴかちゃん (@ksp0cy) September 23, 2026
「ある午後の野原夫婦だゾ」は、『クレヨンしんちゃん』とテレビ朝日系『バズマンTV』のスペシャルコラボ企画として制作されました。
脚本を担当した蓮見翔さんにとって、『クレヨンしんちゃん』の脚本を手掛けるのは今回が初めてです。
物語の舞台は野原家のリビング。
しんのすけは外へ遊びに行き、ひまわりは昼寝中。
家に残されたひろしとみさえが、晩ご飯の献立やクレヨンの匂いなどについて他愛のない会話を続けていきます。
派手な騒動が起きるわけでもありません。
さらに今回は、アニメサイドからの提案で、夫婦のやり取りをワンカットで描くという挑戦的な演出が採用されました。
テレビ朝日も放送前から、しんのすけがほぼ不在となる「前代未聞」の会話劇として紹介しています。
つまり、普通の『クレヨンしんちゃん』を作ろうとして偶然変わった作品になったわけではありません。
最初から「いつもと違うクレしん」を狙った企画だったのです。
蓮見さん自身も放送前、事件が起きず、しんちゃんもほとんど出てこず、アニメなのに絵もあまり動かないという趣旨で今回の作品を説明していました。
一見すると、アニメとしてはかなり大胆な設定です。
しかし、ダウ90000を知っている人なら、今回の作品に蓮見さんらしさを感じた人もいたかもしれません。
ダウ90000は、派手な出来事だけで笑わせるのではなく、人と人との会話や微妙なズレ、空気感などを作品に取り入れてきました。
今回も、その特徴を野原ひろしとみさえという長年連れ添った夫婦に重ねた形です。
だからこそ制作側にとっては「クレヨンしんちゃんで蓮見翔が脚本を書く意味」のある企画だったとも考えられます。
問題は、その実験的な作りと視聴者が『クレヨンしんちゃん』に求めるものが一致するかどうかでした。
なぜ評価が分かれた?
くれよん蓮見ちゃん、見たけど。落語的な起承転結ではなく、演劇のエチュードっぽかったので、そりゃお笑いというフレームで見たらめっちゃつまらんけど。夫婦の会話劇としてはすれ違いの笑いだったので、そこまで悪くない。ただ、蓮見って芸人だっけ?三谷幸喜の後継者っぽく思ってた。
— オムライス侍 (@Baba_au_tantan) September 23, 2026
今回の作品について「つまらない」と感じる人が出る理由として考えられるのが、視聴者が『クレヨンしんちゃん』に期待するものとのズレです。
普段の『クレヨンしんちゃん』では、しんのすけを中心に騒動が起こり、個性的なキャラクターたちとの掛け合いから笑いが生まれます。
子どもでも分かりやすいギャグがある一方、大人だから分かるネタが入ることもあり、その両方を楽しめるのが作品の魅力のひとつです。
ところが今回の中心は、ひろしとみさえの何気ない会話。
笑いのポイントも、派手なボケや展開ではなく、夫婦の会話のズレや微妙な「間」に置かれています。
普段の『クレヨンしんちゃん』を期待してテレビをつけた人からすれば、
「これはクレしんなの?」
と戸惑っても不思議ではありません。
逆にダウ90000の作風を知っている人なら、
「蓮見翔らしい」
と感じる可能性があります。
新鮮で面白かったけどなぁ
— 香風邪悪の王元レモぬいのキラ (@GOLDSUUMOnnnj) September 23, 2026
つまり今回の作品には、少なくとも2つの見方が存在します。
「クレヨンしんちゃんとして見る人」と「蓮見翔の会話劇として見る人」です。
前者から見れば、いつもの魅力が薄く感じられる。
後者から見れば、30年以上続く作品のキャラクターを使って新しいことに挑戦した意欲作に見える。
この入口の違いが、そのまま評価の違いにつながった可能性があります。
実際、作品に対する評価が否定一色だったわけではありません。
ORICON NEWSの試写レポートでは、この回を「異色すぎる」作品としながらも、ひろしとみさえの夫婦としての掛け合いや、蓮見さんらしい作風を肯定的に紹介しています。
さらに、ひろし役の森川智之さんは、長く続いてきた『クレヨンしんちゃん』でもまだ新しいことができることへの驚きをコメント。
みさえ役のならはしみきさんも、今回のエピソードを実験的なものとして前向きに受け止めています。
そのため、タイトルにある「不評」も、視聴者全体から否定されたという意味ではありません。
伊集院光さんの強烈な酷評をきっかけに、作品の評価が改めて注目されていると見るのが正確でしょう。
そして、その評価が割れやすいこと自体が、今回の作品の特徴でもあります。
伊集院光が本当に引っかかったものは?
今回のニュースを見ると、
「58歳の伊集院光 vs 若い感性を持つダウ90000・蓮見翔」
という世代対立にも見えます。
しかし、発言全体を見ると、それほど単純な話ではありません。
伊集院さんが強く引っかかっていたのは、
「若い世代に支持される作品を理解できない人間は、感性が古いのか?」
という部分でもありました。
作品を見て面白くないと思った。
本来なら「自分には合わなかった」で終わる話です。
しかし相手が、新しい笑いを生み出す存在として注目されているダウ90000となると、
「面白さが分からない自分の方が時代遅れなのではないか」
という別の問題が生まれます。
伊集院さんは「世の中はダウ90000のセンスを理解できない58歳を許してくれない」という趣旨の発言をしています。
さらに、自分と同じように感じた人に「伊集院よく言った」と味方になってほしい、できれば若い人にもそういう人がいてほしいという趣旨まで語っていました。
ここから見えてくるのは、単なる「若者の笑いが嫌い」という話ではありません。
むしろ伊集院さん自身が、
「面白いものを面白いと言う自由があるなら、分からないものを分からないと言う自由もあっていいのではないか」
という問題を投げかけているようにも見えます。
一方の蓮見さんも、長年愛されている『クレヨンしんちゃん』に自分の考えたものを入れていいのか緊張したことを放送前に語っています。
つまり、
「これが新しい笑いだから理解しろ」
と視聴者に押しつける意図で作った作品だったとは言えません。
蓮見さんは、自分の得意とする会話劇を使って普段とは違う『クレヨンしんちゃん』に挑戦した。
伊集院さんはそれを見て、自分には面白くなかったと率直に語った。
今回の話題は、その2つの感覚がぶつかったことで生まれたとも言えそうです。
「ある午後の野原夫婦だゾ」は、長年続く『クレヨンしんちゃん』の中でもかなり実験的な一本でした。
だからこそ、いつものクレしんを求める人には合わず、蓮見さんらしい会話劇を楽しめる人には新鮮に映ったのでしょう。
そして伊集院光さんの「腰が抜けるほどつまんない」という発言も、単なる酷評だけで終わるものではありません。
その奥には、
「この面白さを理解できない自分は古い人間なのか?」
という疑問がありました。
面白いか、つまらないか。
どちらかを決めること以上に、同じ作品を見てもここまで感想が分かれること自体が、今回の「異色のクレしん」を象徴しているのかもしれません。

