医師として、また東京女子医科大学の理事長として、華やかな経歴を持つ岩本絹子さん。
その一方で「女帝」と呼ばれるほどの強権的な運営手法や不祥事が取り沙汰され、逮捕に至った背景も注目されています。
この記事では、岩本さんの経歴や功績、そして波乱万丈な人生について深掘りします。彼女の知られざる側面にも迫ります!
医師から大学理事長へ
岩本絹子さんは1946年、佐賀県唐津市に生まれ、1973年に東京女子医科大学を卒業しました。
その後、産婦人科を専門とし、葛西中央病院での勤務を経て1981年には自身の産婦人科医院を開設。
地域医療に貢献する医師として評価を得ました。
さらに、1995年に東京女子医科大学の助教授に就任。
2019年には理事長として大学の経営改革に着手し、経営難に陥っていた大学を3年で黒字転換させる手腕を発揮。
その一方で、改革の中で人件費削減やボーナスのカットなど厳しい方針も取られ、これが職員たちの不満を招くきっかけにもなりました。
「女帝」と呼ばれた理由
岩本さんが「女帝」と呼ばれるようになったのは、その強力なリーダーシップが背景にあります。
新校舎建設や大学運営の効率化を推進する中で、周囲から「一強体制」と批判されるほど独裁的な運営スタイルをとりました。
教職員との対立が深まり、内部の風通しの悪さも指摘されていました。
一方で、彼女の改革を評価する声もあります。
特に、新校舎建設や財務改善の努力は大学運営に貢献したとされています。
しかし、後に不正疑惑が浮上し、これが彼女のキャリアに影を落とす結果となりました。
岩本絹子の功績:大学経営改革とその影響
岩本さんは理事長在任中、経営の効率化と大学の財務健全化に尽力しました。
その一環として実施された新校舎建設プロジェクトでは、施設の近代化が進み、学生や教職員にとって利便性が向上。
また、経営危機にあった東京女子医科大学を3年で黒字化させたことは特筆すべき功績です。
しかし、その裏には、職員の給与削減や福利厚生の見直しなど厳しい決定がありました。
このため、一部の教職員からは「学生と職員の負担を軽視している」との批判もありました。
不祥事発覚から逮捕までの経緯を時系列で解説
岩本絹子さんの逮捕に至るまでには、さまざまな不祥事がありました。以下はその主な流れです
2023年8月:大学の内部調査で「1強体制」による不正運営が批判され、臨時理事会で解任。
2024年3月:警視庁が岩本氏の自宅を家宅捜索し、背任容疑が浮上。
2025年1月:逮捕。大学の新校舎建設に絡む不透明な支出が背任容疑として捜査されている。
岩本さんの逮捕は、大学や関係者に大きな衝撃を与えました。
岩本絹子の人物像
岩本さんの人物像は、医師としての一面と、大学理事長としてのリーダーシップの二面性を持っています。
家族に関してはあまり多く語られていませんが、東京女子医科大学の創立者・吉岡弥生の親族にあたるという情報もあります。
このことが、大学内での影響力の強さにつながったとも言われています。
また、プライベートでは医療教育や地域貢献に尽力する一方、厳しい経営手腕が物議を醸していました。
彼女のストイックな性格が、功績と批判の両方を招いた要因と言えるでしょう。
まとめ
岩本絹子さんの経歴は華やかでありながら、波乱に満ちたものでした。
医療界における多大な貢献と、大学経営における強権的な手法がもたらした光と影。
彼女の歩んできた道は、医療や教育の未来を考える上で多くの示唆を与えています。
今後の動向にも注目していきたいです。