2025年の参院選・東京選挙区に無所属で出馬。
SNSを中心に大きな注目を集めている平野雨龍(ひらの うりゅう)さん。
着物姿で街頭演説を行う異色の政治活動家ですが、その過去をたどっていくと、舞台女優・和服モデル・民主活動家・伝統文化の担い手など、驚くほど多彩な経歴が見えてきます。
さらに、政治家を志した背景には、安倍元首相との“ある出来事”が関係していたことも判明。
そして、名前にまつわる深いエピソードや、国籍・帰化に関する誤解など、話題は尽きません。
今回は、そんな平野雨龍さんの経歴と人物像を徹底解説!
「一体何者なの?」という疑問に、この記事でしっかりお答えしていきます。
平野雨龍の経歴!舞台女優から政治活動家へ
生年月日:1994年1月31日(31歳)
団体:政治団体「雨龍会」代表
改名理由:親からの虐待経験により「鈴子」という名前を使いたくなかったため
もともとの出発点は舞台女優でした。
彼女が注目されたのは、戦争をテーマにした作品で「神風特攻隊を見送る女学生役」を演じたこと。
重たいテーマにも真剣に取り組む姿が印象的で、ここで“表現を通じて社会に訴える”という意識が芽生えたのかもしれません。
演劇という「伝える手段」を活かし、平和や歴史といった重厚なテーマに取り組んでいたことは、今の活動の原点とも言えるでしょう。
着物文化を世界へ伝える「和の伝道師」
演劇だけではありません。
平野雨龍さんは、2016年に和装モデルオーディションに合格し、その後「京都ハクビ着物学院」で講師を務めるなど、和服文化の普及にも力を注いできました。
しかも、日常の半分は着物で過ごすという徹底ぶり。
茶道や華道、着付けといった伝統文化の資格も保有しており、まさに“日本文化の体現者”と呼ぶにふさわしい存在です。
モデルとして写真作品にも出演し、静かな存在感を放つその姿は、どこか凛として芯のある日本人像そのもの。
香港民主デモにも参加!政治意識の始まり
2019年からは香港民主化デモに参加。
しかも、そこでも着物姿を貫き、日本人としてのアイデンティティを強く
打ち出していたのが印象的でした。
ただの「賛同」や「支援」ではなく、実際に現地に足を運び、声をあげる行動力。
このときすでに、彼女の中では「政治は誰かに任せるものではない」という確信が芽生えていたのかもしれません。
雅楽奏者「龍笛」も操る異色の才能
そして極めつけは、雅楽の楽器「龍笛(りゅうてき)」の奏者という一面。
彼女が芸名に選んだ「雨龍」という名前にも、龍笛の“龍”が込められているのです。
音を通して心を伝える、文化で世界とつながる――。
そうした信念を、政治の世界でも活かしていこうとしているのが、今の平野さん。
一つの道にとどまらず、「表現」「文化」「行動」を融合させてきたその経歴は、まさに現代の多面体人間。
この人がただの立候補者で終わらないのは、必然と言えるでしょう。
政治家を目指した理由が衝撃!安倍元首相との関係とは?
「まさか、あの瞬間に人生が変わるなんて…」
平野雨龍さんが政治家を志す決意を固めた、その“きっかけ”には衝撃的なエピソードがありました。
2022年7月12日。
それは、安倍晋三元首相が銃撃事件で亡くなり、霊柩車が通過する日――。
その車を目の前で見送った瞬間、平野さんは人目もはばからず、号泣してしまったといいます。
「私が国会議員になるしかない」
まるでドラマのようなセリフを現実に口にし、その場で決意が生まれたのだとか。
菅野志桜里氏の引退も「背中を押す出来事」に
もう一つ、彼女の政治志向に火をつけた出来事が。
それは、香港問題に尽力してきた政治家・菅野志桜里さんの政界引退。
菅野氏が果たしていた役割が突然消える。
「このままでは誰も香港の声を拾わない。ならば自分がそのバトンを受け取る」
そう感じたと平野さんは語っています。
政策には「過去の体験」が色濃く反映
単なる“思いつき”で立候補を決めたわけではありません。
彼女の掲げる政策の多くは、自身の体験と密接につながっています。
たとえば、「虐待育ちとの共存」や「トラウマ治療への保険適用」など、家庭内での暴力や心のケアに関する提案。
これは彼女自身が、親からの虐待を受けた経験をもとにしているからこそ説得力があるのです。
政治スローガンとしてではなく、「自分の人生をかけて語れるテーマ」がある。
だからこそ、人の心に響くのかもしれません。
「守る」という言葉の重み
「日本を守りたい」「アジアを守りたい」
平野雨龍さんにとっては、着物や伝統文化を通して築いてきた“日本人としてのアイデンティティ”そのもの。
過去の体験を力に変え、日本とアジアの平和を願う姿勢。
この芯の強さこそが、今の彼女を突き動かす最大のエネルギーと言えるでしょう。
平野雨龍の名前に隠された過去とは?
「雨龍(うりゅう)」――このインパクトのある名前を見て、「本名?」「帰化してる?」と疑問に思った方も多いはず。
実はこの名前、単なる芸名ではなく、彼女の“人生の再出発”を象徴する深い意味を持っているのです。
本名は「平野鈴子」
平野雨龍さんの本名は「平野鈴子(ひらの すずこ)」。
しかし、彼女はこの本名をあえて公には使っていません。
理由は、幼少期に実の親から虐待を受けていたという過去にあります。
本名を呼ばれるたびに蘇る、つらい記憶。
だからこそ、彼女は2021年、自らの意志で「雨龍」という新たな名前を名乗る決意をしました。
名前を変えることで、過去から自分を切り離し、未来へ進む。
それは、彼女にとって“自分を守るための手段”だったのです。
名前の由来は「龍笛」
「雨龍」という名前は、雅楽で使われる笛の一種「龍笛(りゅうてき)」からきています。
実際、彼女は龍笛の演奏者でもあり、音楽を通して人々の心に語りかけてきました。
雨と龍――。
どちらも“流れ”や“再生”を連想させる美しい言葉です。
この名前には、「音とともに生きたい」「自分自身の音色で人生を紡ぎたい」という願いが込められているのだそう。
名前で自分を再定義する強さ
名前とは、本来“誰かに与えられるもの”。
でも平野雨龍さんは、その名前を自らの意思で選び取ったのです。
虐待を受けた過去も、香港での活動歴も、和服文化の普及も、すべてを統合した“今の自分”を表現する手段が、この「雨龍」という名だったのかもしれません。
名を変えることは、決して逃げではありません。
むしろ、過去と真正面から向き合い、自分自身を肯定するための勇気ある選択。
そこに彼女の“芯の強さ”がにじみ出ていますよね。
このように、名前ひとつとっても平野雨龍さんには物語があります。
だからこそ、表面的なイメージやSNSの印象だけで判断してしまうのは、もったいないと感じますね。
帰化や国籍の噂!
「平野雨龍って、帰化人なの?」「香港との関係があるの?」
ネット検索で彼女の名前を入れると、こうしたワードが候補に出てくることがあります。
でも、結論から言えば――平野雨龍さんは日本人であり、帰化もしていません。
にもかかわらず、どうしてそんな噂が流れてしまうのでしょうか?
名前の珍しさとカタカナ表記の誤解
「雨龍(うりゅう)」という名前、確かにちょっと変わっていますよね。
特にカタカナで表記されることも多いため、「外国系?」「中国系?」といった印象を持つ人もいるようです。
ですがこれは前述の通り、彼女が自ら選んだ“人生の再定義”としての名前。
ルーツや血筋とはまったく無関係です。
本名は平野鈴子。
出身も千葉県。
香港との関わりが招いた誤解?
もう一つ、誤解の原因となっているのが彼女の政治活動。
平野さんは2019年から、香港民主デモを応援し、和服姿で現地に赴いて抗議に参加した経験があります。
この姿がニュースやSNSで拡散されたことにより、「もしかして香港人なのでは?」と誤解されたという背景があります。
しかし、実際には「日本人として、香港の自由と民主主義を支持したい」という立場。
国際的な問題に対して“傍観者ではなく、当事者として声を上げたい”という彼女なりの姿勢があったのです。
SNSで自ら「日本人」と明言している
平野雨龍さんは、自身のSNSでもたびたび「私は日本人です」と明言しています。
それでも誤解が絶えないのは、彼女の活動があまりにも多面的だからこそ。
政治、文化、表現、国際問題。
どれを取っても“型にはまらない”ため、見る人によって印象が異なるのかもしれません。
でも、それは裏を返せばどこに出しても恥ずかしくない視野の広さと行動力を持っている証拠。
日本を拠点にしながら、世界とつながっている彼女だからこそ、国境を超えた共感を集めているのです。
まとめ
平野雨龍さんは、ただの「政治活動家」ではありません。
舞台女優としての表現力、和服文化を広める行動力、香港デモへの参加という国際的視野、そして虐待経験を乗り越えた芯の強さ――そのすべてが、彼女の経歴に詰まっています。
「何者なの?」という疑問に対する答えは一つではなく、むしろ“多才すぎて一言で語れない”というのが正解かもしれません。
政治の道を志した理由も、ただの思いつきではなく、安倍元首相の死や菅野志桜里氏の引退といった大きな出来事と、自身の原体験が重なった結果。
名前の由来や国籍にまつわる噂も、実際の彼女の歩みを知れば、むしろ誤解こそが不自然に感じるほど。
彼女のような“言葉に重みのある人”が政治の世界に挑戦することには、大きな意味があります。
誰かに任せるのではなく、自分で変える――そんな覚悟が感じられる平野雨龍さんの今後に注目ですね。