みなさんは石破茂氏にどんなイメージをもっていますか?
「安全保障オタク」「理論派政治家」「自民党の重鎮」「総理大臣」
でも実は、若い頃アイドルにガチ恋していた“オタク青年”だったって知ってましたか?
スーツしか着ずに大学を歩き回り、「教授ですか?」と間違われたり。
選挙に出れば、田中角栄に背中を押されトップ当選。
そんなギャップだらけの石破さんの若い頃を、今日は深掘りしてみましょう!
父は知事。“政治家の息子”
1957年、東京都に生まれ、鳥取で育った石破茂さん。
当然、周囲の期待は「将来は政治家に」と集まるもの。
しかし本人はとにかく「人と違う道を行きたかった」と語ります。
「父の名前が先行して、僕自身が見られていない気がしたんです」
そのプレッシャーから逃れるように、進学先は東京・慶應義塾高校。
地元では“知事の息子”だった彼が、ここでやっと“一個人”としての自分を取り戻します。
スーツで大学を歩く変人?

白のセーターを着ているのが奥様の佳子さん
慶應義塾大学法学部に進学後、石破青年はまさかの「毎日スーツ通学」。
しかもアイロンパリパリで、まるで企業の新入社員。
「私服よりもスーツの方がラクなんですよ」
「仕事道具みたいなものです」
と語るその姿は、教授に間違えられるほど。
…え、それ嬉しいの? とツッコミたくなるくらいの真面目っぷり。
そして驚くことに、この“仕事着スタイル”が原因で当時の女性に「ダサい」と断られたというエピソードも。

ごめん、たしかにダサい。
ガチ推しはミキちゃん(キャンディーズ)
真面目キャラからは想像つきませんが、実は石破さん、アイドルオタクでした。
それも、当時絶大な人気を誇った「キャンディーズ」の藤村美樹(ミキちゃん)推し。
「アイドルって、命なんですよ。僕にとってはキャンディーズが全てだった」
部屋にはポスター、棚にはレコード、ライブにも足を運ぶ。
当時の友人いわく、「語り出すと止まらないタイプだった」とのこと。
政界入りのきっかけは田中角栄のひとこと
大学卒業後は三井銀行に就職した石破さん。
が、わずか2年で退職。
転機は、父の急逝でした。
お通夜に訪れた田中角栄元首相が、石破青年にこう言います。
「お父さんとの約束だから、君を政治家にする」
それを受け、1983年から自民党田中派で働き、1986年には29歳で初当選!
初当選時プロフィール(当時29歳)
項目 | 内容 |
---|---|
選挙区 | 鳥取全県区 |
所属 | 自民党(田中派) |
キャッチコピー | 若さと誠実、そして論理 |
特徴 | 理詰めで挑む最年少議員 |
“逆張り”政治家、ここに誕生!
1993年、自民党宮澤内閣の不信任案に賛成し、党を離脱。
そのまま無所属で出馬しますが──なんとトップ当選!
「自民に逆らって落選…」ではなく「逆らって大勝利」。
この時点で、ただの“スーツ男”じゃないと証明されました。
ちなみに、当時配っていた名刺にはこう書かれていました。
「皆さんと共に考え、行動する」
言葉より行動。石破節の始まりですね。
若い頃からブレない“石破イズム”
振り返ってみると、石破さんの若い頃ってギャップだらけです。
- 見た目 → スーツ命で超真面目
- 中身 → アイドルオタクで感情豊か
- 信念 → 党を裏切ってでも信じる道を進む
その根底には、「自分で考える」「流されない」というポリシーがあったのではないでしょうか。
“人間・石破茂”のキャラが濃すぎて推せる?
まとめ
現代の石破茂さんは「クール」「淡々」「理論派」そう思っていたあなた、
実はアイドルに熱くなったり、スーツで浮いてたり、トップ当選したりと、いがいと波乱万丈な若者時代を送っていたんです。
そのギャップと人間味こそが、惹きつける魅力の一つ。
とにかく、住みやすく未来ある日本を。